有名人のお墓

No.16

 (1902−1975)

『近松を蘇らせた男』
場所 和歌山市鷹匠町
本行院内(日蓮宗)

和歌山県立桐蔭高校(旧和歌山中学)南側のすぐ近く、和歌山市鷹匠町に日蓮宗寺院の本行院がある。その本行院墓所に、文楽(三味線)で重要無形文化財(人間国宝)に認定された野澤松之輔師のお墓が祀られている。

本名を西内重男といい、明治35年(1902)和歌山市十三番丁に生まれる。 六世野澤吉兵衞に入門、吉佐と名乗る。その後初世野澤松之輔と改名する。(号は西亭)

野澤松之輔師は、文楽の作曲はもちろんのこと、歌舞伎、また映画音楽 『楢山節考』などの作曲まで手がけるなど、幅広く活躍した。その中でも、近松門左衛門の『曽根崎心中』を復曲したのは有名で、50年以上経っても多くの人を惹きつけ、人形浄瑠璃の代表作となっている。昭和47年(1972)には重要無形文化財、いわゆる人間国宝に認定される。

昭和50年(1975)1月13日、縁の深い大阪梅田のお初天神近くの病院にて、惜しまれつつ73年の生涯を閉じた。

本行院にある墓石には『昭和九年八月』『西内重男建之』とあり、野澤松之輔師32才のとき建立されたことを記している。

戒名は『文楽院三弦日松居士』

野澤 松之輔 墓所


本行院本堂

本行院山門

 

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