有名人のお墓

No.15

 (生年不詳〜1708)

『吉宗公の誕生に不思議な縁』
場所 和歌山市橋向丁
大立寺内(浄土宗)

和歌山市橋向丁に大立寺がある。宗派は浄土宗知恩院派。創建は文禄年間(安土桃山時代 1592〜1596)と伝えられている。和歌山市の文化財に指定されている山門は、室町時代末期、雑賀党、根来党と共に羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めに激しく抵抗した太田党の居館であった太田城の山門を移築したものと伝えられている。その山門をくぐり本堂裏にまわると、徳川八代将軍吉宗公の祖母のお墓がある。長い月日を大切にお祀りされてきた墓石には、「冷香院淨譽C壽貞量大姉」 「宝永五年(1708)三月十二日」と刻まれている。残念ながら氏名は不詳である。ではどうして大立寺に吉宗公祖母のお墓が祀られているのか調べてみると、不思議な縁があったようである。

吉宗公祖母の娘、つまり吉宗公生母おゆりの方の出自には諸説あり、彦根の町医者の娘という説、大和出身の武士の娘などといわれている。そのおゆりの方が和歌山城下に住むようになったのは、大立寺十三代白雲和尚のとき、吉宗公祖母がおゆりと息子をつれて西国巡礼の姿で和歌山城下へきたが、吉宗公祖母が急病にかかり大立寺山門のかげで身をやすめた。白雲和尚は不憫(ふびん)に思い衣類や薬を与え、また近辺の住人と娘のおゆりもよく世話をしたので病は回復した。母と子はその後巡礼の旅を終えたのち、大立寺にもどり近所の借家に住むようになった。その後娘のおゆりはお城に奉公するようになり、二代藩主光貞公の眼にとまり側室となって吉宗を産む。この縁があり吉宗公祖母のお墓が大立寺で祀られるようになった。

吉宗公祖母の墓石の前に立つと、白雲和尚や近辺の住人が、困っている人を助けてあげようとする温かい気持ち、そして不思議な縁が、その後の吉宗公の輝かしい功績へとつながっていると感じさせられる。

徳川吉宗公祖母 墓所


大立寺本堂


大立寺山門
(和歌山市指定文化財)

大立寺山門案内板

 

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