野呂介石は江戸時代後期の文人画家で祇園南海・桑山玉洲とともに紀州の三大南画家と呼ばれている。延享四年(1747)和歌山の町人の家に生まれた。幼少の頃から絵を好み、後に京都に遊学した際、黄檗宗の僧侶鶴亭に絵を学び、さらに池大雅に師事した。
寛政五年(1793)紀州藩に仕官したが、公務のかたわら画業に励み、独自の画風を築いた。 山水画を得意とし、「那智郡山図」「和歌浦図」などがよく知られている。
文政十一年(1828)に没し和歌山市吹上にある護念寺の境内に野呂介石の墓碑がある。また、昭和四十六年には和歌山市の指定文化財に指定されている。
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野呂介石 墓碑
(和歌山市指定文化財)
野呂介石 解説板
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