和歌山市に生まれる。1917年東京帝国大学農学部農芸学科を卒業、同大学院に入り、脂肪の栄養に関する研究に専念。
1922年、それまで存在自体は知られていたが成功していなかったビタミンAを鱈の肝油から抽出することに始めて成功。
「ビオステリン」の名で栄養剤とした、「油脂よりビタミンAを抽出する方法」で特許をとり、帝国学士院賞を受賞。その後もビタミンAの化学構造の解明に努めるが、1924年腸チフスにかかり、翌年2月闘病の効なく早逝。入院中に「ビタミンAに関する研究」に対して農学博士号を授与される。1950年、和歌山文化協会により文化功労者として、顕彰された。
また、博士は、頂いた賞金を母校和歌山中学校(現桐蔭高校)に寄附し後輩を鼓舞した。和歌山中学校では「高橋賞」を設け理科に優れた生徒を表彰して教育の一貫とした。
終戦後、一時中断したが、現在では対象を和歌山県下の中学・高校生徒に広げて、日本学生科学賞とタイアップして行われており県下の学生の様々な研究に対して表彰されている。
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