(1756〜1833) |
『宣長の後継者・国学を普及』
場所 |
和歌山市男ノ芝丁17
臨済宗妙心寺派 吹上寺内
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江戸後期の国学者。宝暦6年(1756)2月17日、紀伊藩領だった伊勢の松阪で生まれる。通称三四右衛門、藤垣内と号した。実父は稲懸棟隆といい、大きなトウフ屋を営んでいた。明和5年(1768)本居宣長の門に入り、寛政11年(1799)本居宣長の養子となる。父(棟隆)と共に、鈴屋に学び、師宣長の寵愛をうけた。3年後、失明した宣長の長子春庭に代わって家督を継ぐ。のち紀州藩に仕えることになったが、始め松阪に住していた。文化6年(1809)藩主治宝の命によって和歌山に居を移し、『万葉集』『源氏物語』『古事記』等について侍講することとなった。また『紀伊続風土記』の編輯に携わってますます信頼厚く、側用人にとりたてられた。
大平は、国文学の研究深く、特に和歌文章に長じ、松阪、京都等にも出講することも多く、鈴屋学派の中心人物として重きをなした。門下に集まるもの諸国を通じて1000人を超え、和歌山の国文学はにわかに盛んになった。
天保4年11月没。78歳。八十(言霊(大人(と諡(され、和歌山市男ノ芝丁の吹上寺に葬られる。著書も多く、『玉鉾百首解』『神楽歌新釈』『古学要』『八十浦の玉』等がある。
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本居大平
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