供養塔

No.01

 
『安藤彦四郎重能の供養塔』
場所 和歌山市小人町南ノ丁3-1
浄土宗 西岸寺内

 この板碑は、大坂夏の陣(元和元年・1615)で戦死した安藤彦四郎重能の供養のために、弟の安藤彦兵衛直重が建立したものである。砂岩製で、碑の高さ294センチ(総高378センチ)・幅101センチある。建立年代は碑文にはないが、建立者名などからみて寛永年間のはじめ(1620年代)と考えられる。
 安藤重能は、紀州藩家老・田辺藩主の安藤帯刀の嫡子であるが、はじめ大阪の長福寺に葬られ、のち三河国の安藤家菩提所に改葬された。西岸寺の寺伝によれば、この板碑はもと大阪の一心寺にあったものを移設したものといわれる。一心寺は徳川家と縁故の深い寺であり、三河国の墓とは別に、戦没地に近いところに供養塔が営まれたものである。本碑は近世初頭の和歌山地方史上重要な資料であるとともに、当時の墓制の一端を示す資料として注目される。
 昭和60年4月9日、和歌山市指定史跡となっている(墓地入口脇に解説板あり)。


西岸寺の板碑



墓所入口にある看板

西岸寺の板碑(遠景)

西岸寺山門

戻る

閉じる