■瓦堂 満福寺の由来
当山は光仁天皇の宝亀元年(西暦770年)に唐僧為光上人の開基にして、御本尊十一面観世音菩薩は聖徳太子作とも伝えられ、脇仏に四天王を配する。弘法大師が高野山を開創後、神野荘が高野の寺領となりし後は、高野山の末寺にして高野の西を治むる古刹なり。当時は約十七の堂搭で七堂伽藍を有し隆盛をみていたが、度重なる戦乱と災害等にあい現在に至る。本堂は室町時代より瓦で屋根を葺かれ、貴志川の河原にあり、神野の氏寺であるところから、かわら堂神野寺として万民に親しまれている。
観世音菩薩とは一切衆生を観察して自在によくこれを救い、また一切諸方を観察すること、無碍自在であるところから、特に運を開き、厄を除く開運厄除に霊験あらたかとされる。
旧初午には平安時代より伝うる、大般若六百巻転読大法会ならびに一枚一斗もの大餅投げが修され、開運厄除五穀豊穣・家内安全・除災与楽の大祈願法会が盛大に厳修される。
■観光
河を隔てて国の重要文化財十三神社があり、昔から、高野山の表街道として人の絶ゆることなく、弘法大師もよく通られたところから、近くに大師の足跡、今なお、清水が湧き出ている大師井戸がある。高野山を源とする貴志川は水が澄み渡り、アユ・ウナギ・ジャコ等天然の魚が住み、下流には造り酒屋が並び、弘法の般若の泉で人々の口・心を潤すとともに安らぎをあたえてくれる。
また、南方の山麓に紀伊半島の自然100選に選ばれている箕六弁財天社社叢がある。
■年中行事