曼荼羅寺院 高野山 奥の院
(高野山真言宗)
大日如来

■高野山縁起

 高野山は紀の川の南方海抜900メートルの山上にあり、周囲を八葉蓮華になぞられた峰々に囲まれ、東西6キロ、南北3キロの一大仏都です。
 真言宗の開祖弘法大師が桓武天皇の勅許を得て延暦23年(804)唐に渡り、唐の長安にお いて、唐の国師である青龍寺恵果阿闍梨から真言密教を授かって2年の後帰朝の際、師より 授けられた三銛を空中に投げ「私が希う伽藍建立の妙地を示し給え」心に念じたところ、高 野山の松樹の梢に留まりまばゆいばかりの光を放っていたのであります。それを見た大師は、 この地こそ真言密教の修禅にふさわしい地であるとして、この山を開くことを決意されまし た。そして弘仁7年(816)太政官符をもって高野山の地を下付され、翌弘仁8年大師は高野山に登り七里結界の法を修し、現在の大塔の地を中心に伽藍地鎮の式を執り行い、ついで弘仁10年地主神として丹生・高野両明神及び十二王子、百二十伴神を勧請し、大塔・金堂をはじめ諸堂、僧房の建立が開始され伽藍を中心とした一山を「わが山は破壊することので きぬ諸天善神が譲り給う最尊、至高の金剛峰である。」と申され金剛峯寺と名命されました。
 現在の金剛峯寺は豊臣秀吉が亡母のために建立されたもので高野山真言宗の総本山とし て一切の宗務を司っている。

■観光

奥の院
【御廟】:承和2年(835)3月21日弘法大師は現身のまま御入定された。弟子達はご定身を浄窟に奉納して御廟を建立した。
【燈籠堂】:大師に献げる信者たちの燈明が幾万ももえている。そのうちの二つは一千年来もえつづけてきた。"貧女の一燈"と"白河天皇燈"で、いま一つは 昭和23年天皇から献ぜられた昭和燈であり、この三燈が常明燈として輝いている。
【大門】:一山の総門でもある。両脇の金剛力士は浪速法橋の作。
 
伽藍
【根本大塔】:弘法大師が高野山開創にあたり密教の根本を象徴する塔として建立されたもので内陣には本尊の胎蔵界大日如来と金剛界の四仏が祀られ柱には堂本印画伯による十六大菩薩が画かれている。
【御影堂】:宝形造りの木造檜皮葺七間四面の優美な建造物で、真如親王御筆による弘法大師御尊影が奉安されている。
【金堂】:伽藍の中央にあり一山の総本堂とも称せられている。本尊は薬師如来。
【霊宝館】:金剛峯寺をはじめ、山内各寺院の国宝・重要文化財の仏像・仏具・絵画・書籍等が保管されて一般の観覧に供している。
 

 



(御本尊) 大日如来
(開創) 弘仁七年(816年)、弘法大師開基。
(所在地) 和歌山県伊都郡高野町高野山
(電話) 0736-56-2011(代)