曼荼羅寺院 清流山 浄教寺
(西山浄土宗)
阿弥陀如来

■清流山浄教寺の由来

 平安後期鳥羽天皇御代(1103〜56)真言僧玄蔵上人高野にならい当地神谷に大門より奥の 院まで八丁、丁石をもつ参道、七堂伽藍二十一坊の神谷山最勝寺を創建、鎌倉時代明恵上人 中興したが時代とともに衰退秀吉公全国統一のため寺領没収、浅野公紀州藩主となり堂宇破 却、仏像仏画等若山へ移したと言われている。播磨の国の豪士、赤松円心曽孫、明秀光雲上 人(1403〜88)浄土教を広めて紀州にを止められ、梶取総持寺はじめ県下に十八ヶ寺創建、 文明4年春(1472)有田川にそう長田に草庵を結ぶ。荒廃の地に慈雨を得た住人こぞって上 人に帰依、ここに最勝寺改め清流山浄教寺の寺号(文政年間寺社奉行への控より)と「あり がたや清き流れの浄教寺のどかに宿す弥陀の月影」の御詠歌を賜わり散在の什宝物を集め開 山。以来五百十余年信仰と文化財の寺として全国的に知られ、昭和56年度、57年度にわた り国県町補助と檀信徒の浄財を得て重文仏涅槃図の大修理と重文大日如来像等文化財収納の 収蔵庫建立、更に紀伊之国十三仏霊場とぼけよけ二十四時増尊霊場として尊い御縁を頂き多 くの方々より親しまれて今日に至っている。(御詠歌―ありがたや清き流れの浄教寺のどかに 宿す弥陀の月影)

■奥の院内崎山法蔵院について(0737)52-5793
 当山は天長年間(820)弘法大師により開山、大師御自作の十一面観音をまつり明恵上人 元仁元年(1224)弘法大師像を一刀三礼奉納、承元2年(1208)より三年間当山にて修行、 金獅子章光顕抄一部三巻を著作されるなど明恵上人紀州八所遺跡であり眼下に有田川を中部 有田を一望に眺望できる絶景の霊山で鎌倉時代湯浅一族崎山氏の邸宅より文化年間(1810) 花光氏、安政2年(1855)浄教寺領となり奥の院と仰ぎ現在に至っている。毎年8月20日夜「二十日晩会式」は奉納花火と夜店で百年来地域あげてのにぎわい、又山内に新四国八十 八霊場、万国水子地蔵尊供養塔をまつり毎年7月20日大法要がつとまっている。近年山頂 近くに老人憩いの家もでき四季登山の人々多く、信仰と憩いの霊山大師山として有名である。
(御詠歌―ありがたや御法蔵むる寺なれば誓いはここにあらたなりけり)

■寺宝一覧(浄教寺)
 〇重文涅槃図
 〇重文大日如来像
 〇観経曼荼羅図
 〇十六羅漢図
 〇陸信忠筆   十王図
 〇木版画彩色  十二天図
 〇田辺藩主寄進 金縫三尊図
 〇三尊図
 〇二十五菩薩来迎図
 〇探幽七十歳筆 龍頭観音図
 〇恵心僧都自作 阿弥陀如来像
  脇仏 観音像・勢至像
 〇弘法大師像
 〇地蔵菩薩像
 〇厄払い十一面観音像(弘法大師自作)
 〇安阿弥作 釈迦如来像(御舎利共)
 〇阿弥陀如来像
 〇親鸞上人御自作 法然上人像(御舎利共)
 〇書道界重鎮故伊藤東海先生 御染筆御詠歌と山号寺号
 (法蔵寺)
 〇明恵上人御自作 弘法大師像
 〇弘法大師御自作 十一面観音像
 〇薬師如来像
 〇不動明王
 〇観音菩薩像
 〇楽南書弘法大師

■ ぼけよけ二十四地蔵霊場第五番札所

■観光

 〇浄教寺  電話(0737)52-2469
  昭和60年3月春彼岸会より毎年春秋彼岸会中収蔵庫に安置している釈迦涅槃図と大日如来像の一般拝観予定日は春秋彼岸の中日一日限り、其他文化財随時拝観但し前もって連絡してほしい。

 〇奥の院法蔵寺  電話(0737)52-5793
  四季を通じて山頂よりの眺望絶景、遠足、句会、写生等グループの憩いの場、信仰の霊山として有名。毎年8月20日夜「二十日晩会式」毎年7月20日9時「万国水子供養」 等参詣でにぎわう。

■年中行事

一月一日〜五日まで 初詣及新年挨拶参り  書道教室
二月 御忌会
三月 春中日彼岸会
四月 西山忌
五月 清流会総会(よろこびの念仏のつどい)
六月 開山忌
七月 清流会清掃奉仕
七月三十一日  大施餓鬼会
八月九日〜十五日 盆参り
九月 秋中日彼岸会
十月 十夜会
十二月三十一日 除夜の鐘

 

 其他、記念大法要と五重と受戒会大法要五日間
 四国八十八霊場巡拝
 西国三十三ヶ所霊場巡拝
 紀伊之国十三佛霊場巡拝
 法然上人二十五霊場巡拝
 総本山納骨団参
 ぼけよけ二十四地蔵霊場巡拝

■交通

 JR  〇特急(一部)箕島又は湯浅下車タクシー10分
 〇普通紀伊宮原又は藤並下車タクシー5分

 

 


(御本尊) 阿弥陀如来
(開創)  
(所在地) 和歌山県有田郡吉備町長田30
(電話)

0737-52-2469