第七番 幡川山 禅林寺
(高野山真言宗)
薬師如来

■薬師院禅林寺(真言宗)の由来

 禅林寺は、俗に幡川のお薬師さんと呼ばれ、広く人々に親しまれています。当寺院は今から千二百有余年前、唐(中国)の青龍寺の僧為光上人が修行道場にと、聖武天皇よりこの地を頂き、同天皇の勅願所として建立した寺院です。当時は七堂伽藍の精舎であったが、建武以前に金堂を始め寺庫までも火災にあい焼失、再興された後も、天正十五年に豊臣秀吉の南征による兵火により再び焼失し、広大な寺領も没収されました。(諸堂の跡は地名として今なお残っています。)その後、中興秀慶僧正が再興しようと志し、ご本尊を求めている時、夜な夜な光輝くものがあり不思議に思い登ってみると本尊の御首でした。同僧正はそれを捧持し、寺に移して、直ちに京都の仏師高慶に土で御尊体を作らせそれが現在の御本尊です。
 本尊 薬師如来(秘仏)坐像3尺5寸
 開山為光上人が、青龍寺より七仏の内一体を携えてきた仏様です。
 特に眼病、その他の病にご利益あり、お薬師様は「わが名号を一たび耳に聞くとき願いとどけん」の誓願通り多くの人々が救われています。
 足神 本堂東側にあり、神経痛、りゅうまち等々にご利益あり。
 境内の裏山には、約二百年前より新四国八十八ヵ所をお祭りしています。お四国にお参り出来ない方や願事成就の為多くの人々が、お参りし、又年に一度の旧正御影供には、大勢の信者さんと塔婆供養し、おねりをします。

■伝説

 幡川の禅林寺、ていうたら、慈悲深い薬師如来さんが住んでおられるところ、て昔から有名や。なんでも大昔、この寺のとちの木いに雷が落ちてん。薬師さんはことのほか、この木を可愛がっておられたそうやが、ずたずたに切りさかれ、見るも無残に変わりはてた姿あ見て、もう、かんかんや。"こんな悪さあしたんは誰や。すぐ捕らえてうんとこらしめたれ"て、お弟子さんの日光さんと月光さんに命じられたと。この二人、なかでも日光さんは力自慢、額から強い光を放つことにかけては自信があったんで、早速、雷退治にでかけたんや。境内を捜すこと三十分、軒下に隠れてた雷を見つけだし、例の怪光線をぴかっぴかって発して、あっという間につかまえてん。
 薬師さんの前につれだされた雷は、はじめはふてくされていたんやが、こんこんと説す薬師さんの温かい心にうたれ、"ここ一里四方のところには二度と落ちません"て約束し、天へ帰してもらったと。
 それからというもの、禅林寺のある薬師の谷には雷が落ちることがなくなったそうやが、"日光さんほどの強い人をお弟子にしてるえらい薬師さん"てますます評判になったと。

■観光

 寺宝には後村上天皇の御諭旨、並に南北朝時代の古文書百数十点あり、県の文化財に指定されています。
又附近には、コッテ龍、メウシ龍あり幽境をなしています。
境内には、ぼけよけ地蔵、無縁地蔵、十三仏、水子地蔵、聖観世音菩薩をおまつりし、御参拝の皆様方を温かくお迎え下さいます。    

■ ぼけよけ二十四地蔵尊霊場第三番札所
■ 高野長峰霊場第一番札所
■ 西国薬師霊場第十二番札所

■年中行事

一月八日 初薬師
一月二十一日 初大師
三月二十三日 彼岸会法要
四月八日 春会式
法要後海南一の大投餅
八月十五日 施餓鬼法要
九月二十六日 無縁供養、水子供養
聖観世音供養
十一月二十四日 ぼけよけ地蔵供養
旧三月二十一日 正御影供 新四国八十八ヵ所供養
毎月八日 薬師縁日
毎月二十一日 弘法大師縁日

 


(御本尊) 薬師如来
(開創) 千二百有余年前、為光上人開基。
(所在地) 和歌山県海南市幡川424
(電話) 073-482-1894