■法輪寺の由来
往借、弘法大師の開創と伝えられ、開創以来八百年間は有田郡石垣組(現吉備町垣倉)在りて鳥屋城主畠山氏累代の祈願寺として寺領数百石を寄附せられ七堂伽藍薨を並べ輪奐の美を競ひたるに、天正年間鳥屋城陥落の時兵火のため大伽藍什宝及び往古の旧記尽く灰燼に帰す後享保年間中興開山山本明比丘は御室総法務頼遍大僧正より授かりし秘仏歓喜天尊を捧持して霊夢の冥示ありし当名草郡吉田の里の伽藍相応の地なるを悦び此処に当寺を移し給う是吉田聖天宮の濫觸なり。
爾来、歓喜天尊の霊徳日夜に発揚し、本明比丘の薫化四方に普及し四民翕然として帰嚮す。
終に国主第六代徳川宗直卿深く当寺歓喜天を尊崇し給い、当山は和歌山伏虎城の艮位に当るを似て永く鬼門除け守護の霊窟たらしむ。第十代の国主治富郷亦篤く歓喜天を尊信せられ偶々夫人貞恭院殿風眼を患い医薬其効なく因厄の折当時の住職本善律師に祈誓せしめらるに僅かに一日にして拭うが如く快癒なし給う。国主の信仰他に比倫なく尋いで天保年間本堂を始め諸堂を再建寄進せらる。弘化年間第十一代国主斎順郷嗣子なきを憂い男子生誕を歓喜天尊に懸願し遂に菊千代君(後の家茂公)の降誕を見る。此君十三歳の時江戸徳川家に入りて第十四代の征夷大将軍となり位内大臣に進むまことに霊験の顕著にして神徳鴻大なりと謂つべし。爾来有徳の住職相嗣ぎ四方の信者朝夕に参拝し、香煙日夜絶ゆることなき有様なりしに昭和二十年七月九日太平洋戦争の戦火を蒙り敵機の爆弾により境内の建物殆んど灰燼に帰したり。
戦後河内天野山金剛寺より普山せし俊乗和上の営々再建復興に懸命の努力により、十方の信徒物心両面の協賛を得て戦後直後離散せし信徒も現在万余に及び神徳愈々広大無限なるに崇敬者日夜参詣し旧状の如く香煙絶ゆることなき現状なり。
殊に俊乗和上は知名の文人墨客、芸能界の人々との交流あり、芸能達成の祈誓の為め参拝あり、歓喜天尊の霊徳今も猶俊乗和上をして顕現なさしむ。
■ぼけよけ二十四地蔵霊場第一番札所
■年中行事
毎月一日、十六日 |
〇歓喜天尊御縁日 |
正月元、二、三日 |
修正会、開運招福大祈祷 |
正月三日 |
福徳毘沙聞天初縁日祭 |
正月七日 |
開運大弁才天女尊初祭 |
正月初辰日 |
正月初辰祭 |
正月九、十、十一日 |
東の宮神社十日戎大祭 |
正月十四日 |
普賢大菩薩初縁日祭 |
正月 |
十日 |
開白 |
歓喜天尊正月大祭 |
十
|
六日 |
結願 |
正月十五日 |
鎮守八幡明神初祭 |
正月二十一日 |
弘法大師初御影供 |
正月二十二日 |
八大龍王初祭 |
正月二十四日 |
延命、子安、出世地蔵尊初祭 |
正月二十五日 |
天満天神初天神祭 |
正月初庚申祭日 |
初庚申祭 |
正月二十八日 |
不動明王初祭、三宝荒神初祭 |
二月三日 |
節分会星祭開運厄除祈祷 |
旧二月初午日 |
稲荷大神初午祭 |
三月二十一日 |
弘法大師正御影供、彼岸会法要 |
五月十六日 |
歓喜天尊春季大祭祈祷 |
七月七日 |
開運大弁才天女尊例年祭 |
七月二十八日 |
願掛不動尊土用大護摩供養 |
八月十日 |
先祖供養万燈会献燈供養 |
八月十七日 |
灯籠荼毘供養 |
八月二十四日 |
地蔵尊盆供養(子供地蔵盆踊) |
十月十六日 |
歓喜天尊秋季大祭祈祷 |
毎月初の辰の日 |
初辰祭 |
毎月二十一日 |
弘法大師月並御影供 |