奥之院 道明山 毘沙門寺
(西山浄土宗)
聖観世音菩薩
「南に補陀落浄土を望む」
開基は享保8年(1723)で、開山は印空海岸門潮上人である。したがって当寺は開基以来278年を経る。ちなみに享保は、江戸8代将軍・徳川吉宗(将軍在位=1716〜1745)の時代である。当寺が建立される以前に、この地には、地域住民の篤い信仰を集めて、商売繁盛・福徳円満に利益のある毘沙門天と、子宝・子育てに霊験あらたかな地蔵尊の祠堂が祀られていた。これが寺の名の由来となっている。現在もこの「毘沙門天」と「地蔵菩薩」および「水子地蔵尊」を祀っている。
本堂には、中央の仏壇に阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の弥陀三尊仏を、向かって左の仏壇に三十三観音と十二神将を、向かって右の仏壇に善導大師・法然上人・証空上人・門潮上人の祖師像を祀っている。
観音菩薩は、世の衆生のその名を唱える音声を感じて大慈大悲を垂れ、解脱を得させるという菩薩である。観音は諸菩薩のうち最も広く崇拝され、その形の異なるに従い、千手・十一面・不空羂索・馬頭・如意輪などの名称があるが、当寺の観音像は聖観音菩薩である。
三十三観音とは、観音菩薩が三十三身に身を現じて衆生を救済しようとする大慈悲の本誓願をあらわす三十三体の仏像である。この三十三身から、三十三ヶ所観音霊場巡礼の信仰形態が興った。
当寺を訪れた方は、本堂に上がって手を合わせ、「南無観世音菩薩」と唱えてお詣りします。そもそも、観音の浄土として南方海上に補陀落浄土があるとされることにより、南に海(和歌浦湾)を望む地にある当寺が、霊場巡りの満行を修されたことへのお祝いの意味を込めて「和歌山市観音霊場・奥の院」と定められた。したがって巡礼者は三十三ヶ所霊場をすべて巡った後に奥の院・毘沙門寺に詣で、満願の報告と祈願を行ったのち、海を眺めつつ観音菩薩と補陀落浄土への思慕を抱くことが、当「奥の院」へのお詣りの仕方である。