開基等は資料が残されていないため不詳である。ただし、開基以来約370年ほどを経ているとの話から、おそらく寛永年代(1624〜43)の頃と推定される。
本堂は江戸中期の建築で徳川11代将軍家斉[いえなり、将軍在位天明7年〜天保8年(1787〜1837)]の時代だとか。したがって本堂は200年以上前の建造物ということになる。昭和20年の空襲の被災もなく今日迄至っている。
開創以来、参詣者は中級以下の武士、町家衆、職人衆などといった庶民派的な祈祷所であったようである。
先代住職川平観堂師の社会奉仕活動は並みのものではなかったらしい。戦時中は避難所として寺の施設を提供し、空襲被災者の世話に奔走。近年では1970年代前半に起こった天神崎ナショナルトラスト運動の支援に100万円もの寄付をするなど、寺の整備を二の次にした人物だったとか。
平成3年に至り、現住職の手により客殿、庫裡、山門等が新築された。本堂脇には三体の地蔵尊が奉置されている。かつては小さな祠堂があったらしいが今は無い。しかし、毎月24日「地蔵の日」の参詣者が多いとのことである。