北ぶらくり丁から西へ進んでいくと正壽院が見えてくる。慶長年間に法印宥盛が、現在の吹上・新堀のあたりに開基、寛永年間には、現博労町、城北公園の地に移った。そして戦後の区画整理により、現在の位置に移転したのである。昭和20年の空襲で、地蔵本尊のみを残し、寺は全焼してしまった。以前は「博労町のお地蔵様」と呼ばれ一時期は「地蔵堂正壽院」とも称していただけに、現在でも境内には、様々な地蔵尊が祀られている。アメリカ軍の空襲にも耐えた延命地蔵尊は、寛文年間(1661〜1672)紀州藩のお堀を工事する時予定ルート上にあったため、当寺に移奉されたと寺に伝わっている。
かつての御本尊十一面観世音は、智證大師作だったが、空襲のため焼失。現在は西山如拙作の美しい観音様が祀られている。
また和歌山西国観音霊場では珍しい風神・雷神の彫像が本堂に祀られている。