第26番高野寺は、寺号が示すように弘法大師を御本尊とする寺である。この大師像は、元は保田荘梁瀬の里に鎮座、その地の庶民を飢饉から救った霊験あらたかな像として尊拝されていた。慶長年間、国主浅野幸長がこの像を高野山興山寺の勢誉法印に下賜し、これを現高野寺の地にお祀りし、寺は開基された。
この大師像は弘仁7年(816)に、大師自ら刻んだものとされ、像の顔から仏舎利が出たため「舎利吹き大師」また飢饉の際、不毛の地に野菜が生え人々を救ったことから「不蒔菜(まかずな)の大師」などと呼ばれた。大使が自分の42歳厄除けのための作である。空襲の際にも寺は全焼したが、大師像は難を逃れ現在に至る。現在では毎月21日は「弘法の日」で厄払い祈願の参詣者が多い。
また高野寺は17番法輪寺に続く「ぼけ除け霊場」でもあり、近年ますます参詣が盛んのようである。
お堂は奥堂(本堂)と前堂(礼拝堂)から成り、これらは戦後になって再建されたものであり、山門と鐘楼は、昭和58年に再建されている。奥堂には御本尊の弘法大師像、脇仏に観世音菩薩などを祀り、前堂には不動尊、薬師如来、十一面観音を安置する。