第23番観音寺は真空上人による開山と伝えられているが、戦災により資料が焼失しており年代の特定は出来ない。昭和20年の空襲の際、寺は全焼し寺歴を語る過去帳も消失してしまったのである。過去帳は万一の場合に備えて写本を2部作ってあったようだが、不運が重なり過去帳の一切が失われた。
被災前までは、境内に鐘楼、本堂、鎮守祠金毘羅堂、稲荷社らが立ち並び、中でも金毘羅堂は「こんぴらはん」の呼び名で近隣の人から親しまれ、7月10日の縁日には、多数の参詣者で賑わっていたようである。金毘羅堂なき現在では、2ヶ月に一度10日の夜に金毘羅画像の大掛軸を前に信徒さんたちによる法要が行われている。また現在の本尊は、昭和37年に安置されたものであるが、かつては楠見寺(なんけんじ 和歌山市楠見)にあったもので、秀吉による紀州攻めと戦争の兵火を逃れた仏様である。
江戸時代には紀州徳川家の庇護と奥女中の信仰を集めた寺であったが、戦後の区画整理により寺域も縮小され道路整備のため、境内と墓地も分断されてしまう。
境内には、大名家の産婆さんの墓や戦前からあるソテツの木が残っており、寺の歴史を感じさせてくれる。