もともと龍源寺は東宇治(現在の長崎屋付近)にあったが、元和5年(1619)に現在の鈴丸丁に移転した。というのも頼宣公が紀州に入封し、城下町整備の一環として現在の元寺町一帯を町衆街にするため、この地域内の他の寺院ともども別の地に移転したのである。(元寺町の地名も、もともと寺町だったという理由のようである。)現在地に移って後、第10代藩主治宝公親筆の「瑞雲」の額を拝領している。当時から約350年間頼宣公寄進の「聖観世音菩薩」や「弁財天」像などの著名な仏像が安置されていたといわれているが、残念ながら昭和20年の空襲により、例にもれず堂宇と一緒に焼失してしまった。以前の本堂は、文化7年(1810)年に新築されたが戦災で焼失してしまい、昭和30年に新築され現在に至っている。
龍源寺は以前、日高郡由良町の虚無僧寺として有名な興国寺との縁が深かったようで、近世以降の一時期は京都の妙心寺が、興国寺に関することを当龍源寺に回答を求めたことが記録にも残っている。
寺の裏側は、居酒屋が軒をならべるが、境内に入ると繁華街と隣接していることなど感じない静けさである。