和歌山市の歓楽街「あろち」の真ん中に圓満寺はある。昼間訪れると、夜のにぎわいとはうってかわり、山門をくぐり境内に入ると一段と落ち着いた雰囲気がある。
当寺の歴史は、かなり古いようである。開基は不明であるが享保年間(1716年〜)に、山東荘口須佐村(現在の和歌山市須佐)から現在地に移転した。
昭和20年の空襲の時、先代住職が過去帳と当寺開山縁起を、境内の井戸に沈めたおかげで、焼失は免れたが、それ以外のものはすべて燃えてしまった。
圓満寺ならでわの話題もある。昔は三味線の音がにぎやかに寺まで聞こえたが、現在ではカラオケの音が聞こえるようになり、参詣者もときにはスナック勤めらしい外国人女性が本堂に手を合わせていく姿もあるとか。
本堂は昭和34年、山門は平成7年にそれぞれ再建された。そして境内には、牛の石像があるが、これは戦前、寺の鎮守として天満宮が祭られていた名残りだが、社は堂宇共々空襲により焼失してしまった。
江戸時代以降、武士や町人でにぎわった当地域の繁栄と共に当寺18世の時代の頃から、繁栄し出したとのことである。