第16番惣光寺は、JR紀勢線の龍神踏切を東にわたるとすぐそばにある。昔は紀州の殿様がよく通った、竜神街道と呼ばれた道沿いである。寺の開基は、平安時代前期に空海が音浦の地(現・花山近辺)を訪れた時、霊夢で林に一寸八分(約6p)の黄金の毘沙門天像を得て、自ら刻んだ毘沙門天像に、その黄金仏を体内仏として納め安置したのが始まりで、それ以来寺号は惣光寺である。
しかし、天正年間(1573頃)に起った雑賀党と宮党の争いに巻き込まれ、堂宇は焼失してしまう。さらに天正13年(1585)秀吉の太田城水攻めにより、安置していた諸仏や伝書等が流失してしまった。だが本尊の毘沙門天像だけは、太田源次郎というものが守護したことにより、この二度の難をのがれることができた。
徳川時代になってからは、小牧の戦い(天正13年)に家康に味方したという事により、紀州徳川家の信奉をうけた。現在地には六代藩主宗直の命により、宝暦6年(1756)に海善寺第20世天瑞上人が再建し、中興の祖となる。
境内にある地蔵堂は珍しく北向きで、この地蔵菩薩像は四国88所第19番立江寺から勧請されたものである。また十一面観世音菩薩は明治初期に、すでに廃寺になった観音院から招来されたものである。昭和52年に再建された本堂には、不動明王、愛染明王、金毘羅像が脇仏として安置されている。