第14番大立寺は文禄年間(1592〜95)開創といわれているが、寺伝の文書類が、戦災で消失したため不詳である。慶長年間に再建されたが、昭和20年の空襲時に、恵心僧都の作と伝えられる御本尊の阿弥陀仏を含め寺は消失してしまう。当時の住職夫人によって、過去帳のみが持ち出され難を逃れたそうである。戦後になって復興のため、本堂を海南市の浄教寺より移築し、御本尊を和歌山市和歌浦の雲蓋院より移して現在に至っている。
また山門は市の文化財に指定されており、これは天正年間に秀吉による水攻めで落城した太田城の大門である。この門は、太田城落城後和歌山市吹屋町の功徳寺に移築された。昭和8年同寺は消失したが、門だけは難を逃れた。その後功徳寺が廃寺になり、大立寺本堂復興の際に功徳寺に残る山門が移築された。現在山門の脇には、「太田城大門」の解説の看板が立っている。
境内の墓地には、徳川吉宗公の母方の祖母の墓が、寺の歴史を見守るかのようにひっそりとたっている。