第11番護念寺の草創は、室町時代後期の永正5年(1508)にさかのぼる。現在の和歌山市宇治の地に、雲山意春和尚により草創され、寺号を常福寺といった。天正13年(1585)和歌山城築城の際、城代桑山法印により城の鬼門除けとして当時の松屋町に移建され、寺号を護念寺と改めた。寛永17年(1640)藩祖徳川頼宣公(南竜公)の命により現在地に移建された。当時は寺社奉行直支配の格式で幕末に至ったそうである。
しかし、県下屈指の念仏大道場とされてきた護念寺も戦災にあい、桑山法印が熊野詣の帰途で得たといわれる、御本尊の阿弥陀如来像も焼失してしまう。昭和39年になって本堂が再建された。現在境内には本堂のほかに、三十三観音像を安置する観音堂や四本柱の八方に一枚板の菊花の浮き彫りがはめこまれた珍しい鐘堂がある。
現在護念寺では月1回の「さあがんばろう会」という法話会を開くほかにも、現代的イベントを行う寺として有名で、平成9年には、何と本堂の阿弥陀様の前でポップスのコンサートが行われたのである。他にも、映画上映会や講演会を開くなど大変精力的に活動なされている。