第7番大泉寺の本寺は、室町時代に甲斐の国に発祥している。大永元年(1521)甲斐国主武田信虎(信玄の父)が武田家菩提寺として、甲斐大泉寺を建立した。武田氏滅亡後には、浅野長政が甲斐国主として甲斐大泉寺を浅野家菩提寺としたが、慶長5年(1600)浅野幸長が紀伊国主に移封された際、浅野家菩提寺として紀州大泉寺が建立された。幸長に随伴した甲斐大泉寺8代目和尚、陽山宗廣和尚による開山である。
本尊の聖観世音菩薩像は、行基菩薩古徳の作であり、天正年間に武田信玄により甲斐大泉寺に寄進されたものである。浅野家によって引き継がれ、蘇我十郎・五郎兄弟の作である脇仏の毘沙門天・不動明王とともに、現在の大泉寺に持参され安置されたものである。浅野家はのちに芸洲(広島)に転封されることとなるのだが、大泉寺は今も浅野家菩提寺となっている。
また境内には、江戸時代本草学(薬用を中心とした植物学)を大成させた人物として大きな功績を残した畔田翠山((1792〜1859)の墓と顕彰碑がある。