第6番延壽院のふるさとは、遠く信州の諏訪郡になる。元和年間、隆昌和尚によって和歌山に移され、当初は広瀬大橋の川端に堂宇が建立されたという。さらに明暦2年(1656)に現在地に移建された。現在は、通用門が横手にあるが、山門がちょうど桐蔭高校のグラウンドの塀と向かい合っており、グラウンドの生徒の声が聞こえたりする。
境内には本堂のほかに、大師堂・摩利支天堂・地蔵堂の三つのお堂がある。中でも摩利支天堂は古くから紀州徳川家の信仰篤く、武家の参詣が絶えなかったようである。摩利支天は、元来武士の守り本尊とされ、いわゆる武運長久を祈願する神様と考えられていたようで、尚武の神として武士やその家族の参詣が多かったようである。摩利支天を祀っている寺院は珍しいそうだが、なんと現代では、武家にかわり受験生やその家族の合格祈願神となっているようで、合格祈願に県外からの参詣も多いそうである。
また当延壽院は和歌山西国三十三ヶ所の事務局の方を担当されている。