開基は夾山(かっさん)禅師で、駿河(現静岡県)の人である。紀州徳川藩初代藩主徳川頼宣公が、駿河の国より入封した際、随従して来たと思われる。かくして頼宣公の命により、寛永元年(1624)に創建される。
その昔「原見坂」と呼ばれていた道より見上げる山門は禅寺らしい威厳があり、約400年の歴史の重みを今に伝える。山門をくぐり境内に入ると、天保8年(1837)に再建された本堂が見えてくる。本堂に安置されている御本尊「釈迦牟尼仏」は和歌山市文化財に指定されている。(昭和42年、和歌山市指定)。
先にふれた山門前の「原見坂」には、昔話が残っている。徳川家の前の紀州藩主浅野家の時代に、浅野家の若侍が、原見坂に小さな五輪塔を見つけ草花を手向けたところ「仙の前」という美しい娘の亡霊を呼ぶことになり、若侍はその亡霊に魅入られてしまい毎夜原見坂に出かけてはその亡霊とたわむれるという昔話である。
また墓所の南側奥には、幕末から明治にかけて迫害され殉教したキリシタンの合同墓も建っている。