延命院はもともとは、日前宮の神宮寺として創建され、その後昔の広瀬地区薬師丁に移って、江戸時代のはじめ元和2年(1616年)、当時の延命院住職、円信上人の代に現在の鷹匠町に移築された。延命院の客殿ならびに紅殻(ベンガラ)塗りの赤門は文化2年(1805年)に当時の紀州藩主観自在院(重倫)によって寄進されている。正式には遍照山延命院普賢寺というが、通称赤門寺として親しまれている。本堂に安置されている弘法大師像(別名
夢逢せ大師)は円信上人の夢のお告げによって、京都の仏師との出会いがあって、作られたと伝えられている。
また、境内には厄除け地蔵尊、子守・水子地蔵尊・金比羅堂が祀られ、熱心な信者さんがお参りしている。
十一面観世音菩薩は広大な慈悲の力によって、人々の苦しみを抜き、楽しい人生を与えてくれる仏様であり、和歌山西国観音霊場の札所の信仰対象である。