近鉄、及び南海の河内長野駅から西へ300m歩くと7本の道が交わる七つの辻という辻がある。この辻から310号線と南に500mほど行った道側にボケよけ地蔵の赤い旗が立っている。そこの細い道をおりると真新しい山門と鐘樓がある。正面には鉄筋コンクリート作りの本堂が望まれ、金色の凝宝珠と水煙が青空にそびえている。中は延命地蔵菩薩が祀られ、畳ではなく椅子が並べてある。
境内には、三体大師石仏像、十二支石仏や、水子地蔵等の石仏があり、地蔵堂もある。地蔵堂の中には、飛鳥時代の三方仏石塔や、石地蔵などがあるところから、奈良時代以前に金剛山麓の霊地の一つとして考えられていたのではなかろうか。
平安末期世相不安の中で、ほうはいとして興った地蔵信仰に応えて、「河内国廿四ヶ所地蔵大菩薩霊場」が作られた時(1204)当寺は第十五番札所となっている。そしてそのご詠歌、
「うき人を救い給わん地蔵尊、長野の河のあらん限りは」は当地に留錫された弘法大師の御作であるという。
爾来、地蔵寺として庶民の信仰を集め、また、高野街道に沿う寺として往来の人々の参詣も多くあった事は散見する寺の記録にうかがう事ができる。
時移り、明治の廃仏毀釈令により廃寺の悲運に見舞われ原町の明忍寺に統合される事になった。以来六十年、地蔵寺復興の願いを続けてきた檀信徒の熱望にこたえられたのが村上蓮城和尚であった。大正14年明忍寺との統合を解き、本尊、並びに宝物を引き取ったが、新寺設立の許可を得る為、狭山町の名刹蓮光寺の発足をみる事になった。蓮城和尚及び二代目昌弘師の努力と檀信徒の熱烈な協力の姿は明るい近代的な境内の雰囲気が語りかけてくれている。
■最寄りの交通機関
南海高野線、近鉄南大阪線河内長野駅下車徒歩15分