第十五番 法雲山 桂林寺
(高野山真言宗)
大青面金剛尊

 

 奈良時代には、古代「山の辺の道」西側に上つ道があり、さらにその西側に藤原京から奈良に至る中つ道と下つ道があった。今日の桜井―天理―奈良を結ぶ県道はほぼこの上つ道に当ると思われる。平安時代に入ると、東大寺の真言院は弘法大師の真言密教弘布の據点となり、当時、大和の寺院のほとんどが密教化されたといわれるが、特に京都と高野山への往還の経路となったこの附近には、弘法大師順錫(じゅんしゃく)の跡を伝える寺が極めて多い。桂林寺もその一つと言われており、大師が道中の安全と当地の五穀豊穣を祈念せんがために開創したのではと伝えられているが、当時の様子を物語る資料は一切残されていない。
 弘法大師がこの附近の道中安全と農民の為の五穀豊穣と七難即滅、七福即生を祈るため霊泉を掘り当てられ、これを閼伽水(仏様に供養する水)として密檀を飾り秘法を厳修されたところ、雲霧の中に五色の光を放った青面金剛が現われる。その姿を留めてお祀りしたのが当寺の本尊の庚申様である。当地は大和平野のほぼ中央東よりの所にあって農業の中心をなしていた地帯であるから、農民の守護神として近隣の崇敬を集めて来たが、青面金剛は本来、病魔悪鬼を祓う仏様であるから、ぼけよけ地蔵様と共に正体不明の病気から守って下さるに違いない。大師の霊泉は今も水の枯れることなく本堂の横に湧き水をたたえてお地蔵様の前を流れている。
 ところで、この寺が庚申信仰の中心になったのは江戸時代からの事で、神宮寺として八王寺神社と共にあった頃のご本尊は文殊菩薩である。この文殊さんの獅子の胎内にの画像が三包み、キツネの毛や皮に包まれて入れられてある。恐らく日本で一番古い画像ではないかと言われ、白狐に乗った美人が剣を掲げて疾駆している姿である。有名な豊川稲荷とはこのを祀ったものである事を知る人は少ないであろう。
 また当寺は昔、石上神宮の寺方の業務を引き受けていた。その当時、石上神宮の寺方業務を引き受けていた寺院は多数あったが、廃仏毀釈の影響で現存するのは、ここ一ヶ寺のみとなってしまう。この辺りは田園地帯、農業の守護神である庚申さんをお祀りしていたお蔭で、廃仏毀釈の折には、地域の人々に守られたのである。今でも60日に1回のかのえさるの庚申講の名残で、大勢の人々がお参りされている。毎月の縁日には昔の庚申講の名残で、大勢の人々がお参りされている。

 

■最寄りの交通機関

JR長柄駅下車西へ徒歩20分、JR・近鉄天理駅よりタクシー筑紫町まで10分
 ※大和筑紫の庚申さん




(御本尊) 大青面金剛尊
(開創) 開基者・年代不詳。
(所在地) 奈良県天理市九条築紫町
(電話)

0743-67-0962