大和三山、畝傍山と耳成山と天の香久山のほぼ中央附近に藤原の宮趾がある。そこを東へ1.5km進むと香久山の東北に御厨子山と呼ばれる山がある。近鉄大福駅からも、JR香久山駅からも20分の距離である。境内の入口に駐車場があってそこには入江泰吉氏の筆で悲劇の王子、大津皇子の辞世の歌碑が建てられている。
東北に三輪山を臨み東南には多武峰の連山が連なる。西南に天の香久山を背負い、明日香をしのぐ牧歌的風景がそこに展開する。
「みずし山、すがりたずねてただ一つ
願いかくるはうつし世のため」
一願成就を求めた人の満願お礼の燈篭が参道に並んでいる。その参道を登りつめたところに本堂がある。四間四面の粗末な本堂であるが中を拝観させて頂くと、外見からは想像もつかない豪華な四面開きの厨子があり、本尊の周囲には十二支の守り本尊の八体仏が安置されている。北面の阿弥陀如来は紙製阿弥陀如来と言って、写経と願文の紙をはり合わせて作った珍しい仏像である。奈良時代、右大臣吉備真備公の創建にかかる寺ではあるが兵火に遭い、現存の仏像は南都椿井仏師の手になる鎌倉期のものしか現存しない。格天井は四季の花図を配し左右には手書きの昭和マンダラがかけられている。
磐余とは飛鳥に先立つ大和朝廷の発生地で大和三山から三輪周辺に及ぶ地方の古代地名である。御厨子山は清寧天皇磐余みかぐりの宮跡であり、眼下に広がる田んぼは万葉の歌に詠まれている磐余地の跡と言われる。吉備真備は学者にして大臣となった史上初めての人であり多くの伝説が伝えられているが、その一つが邪馬台の詩という九代目市川団十郎の芝居になった。
一願成就の観音として祈祷を乞われる方が多い。雪柳と萩の寺でもある。
■右大臣吉備真備(693〜775年)
学者として大臣になった者は、奈良朝の吉備真備と平安朝の菅原道真の二人あるのみ。道真は大宰府に流され、その怨霊を静める為に天神様として祭られたが、真備は八十二ソの天寿を全うしたけれどもその業績は時の権力者によって抹殺された。その故であろうか、当寺の吉備真備像の目は心中の怒りに耐えているかに見える。日本の儒学の祖であり、兵法家であり、道鏡の野望をくじいた政治家でありながら、藤原一門によって排斥された真備に同情して後世多くの物語りがつくられた。その代表的な話は邪馬台の詩である。
■水子・子育地蔵尊
お地蔵様は生きている私たちを救う一方で、亡き人々をも救う仏様として大衆に信仰されて来ました。野にある石仏の多くは地蔵さんを刻んでおります。特に子どもを導く仏様として、賽の河原の地蔵和讚は子を亡くした母の涙を誘います。このお地蔵さんは、長田春山先生の作で当代一級の美術品でもあります。
子どもの安産と健やかな成長を祈る方、水子をお持ちの方はどうぞこのお地蔵さんにおすがり下さい。
■年中行事
1月
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4日 |
初護摩 |
5月
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第2日曜 |
(母の日)花まつり |
毎月
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17日 |
一願祈祷の日 |
毎月
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24日 |
水子供養の日 |
毎月
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28日 |
不動護摩 |
■最寄りの交通機関
近鉄大阪線大福下車徒歩20分、JR香久山駅下車徒歩20分
※新四国八十一番、新西国二十九番
※ミズシ観音、一願祈祷