第十三番 大師山 菅生寺(すぎょうじ)
(高野山真言宗)
阿弥陀如来

 

 津風呂湖の西北、竜門岳の山すそに静かなたたずまいの寺が白壁の塀に囲まれてみえる。マイカーならば、桜井市の多武峰談山神社から鹿路のトンネルをぬけて15分で谷が開けて平尾の村に入る。昔、義経が吉野に落ちのびた道である。
 また明日香からも山越えで15分である。開山の義淵僧正が岡寺との間を往来されたのはこの道であろうか。
 バスは、桜井方面からは370号、橿原方面からは169号、五条本面からも370号を利用し電車は大和上市駅を最寄駅とする。
 菅原道真公誕生の寺なるが故に菅生寺という。竜門岳を中心とする義淵僧正が開山した竜門寺の別院龍華台院として千三百年の歴史を持ちながら栄枯盛衰をくり返し、明治以降は無住の寺となっていた。
 ところが高野山の修業尼、三条妙節師が、北海道にありながら悪夢によって廃寺同様のこの寺のあることを告げられ、はるばる北海道より竜門の里を訪ね、お告げのまことなるを知って感激、この寺の再興を自分の使命として、数年をかけて復興し境内を整備された。本堂には文化財の阿弥陀如来のほか、庶民の願いを聞いて下さる「すがり大師」の座像が祀られている。なお、お参りの人々の目を驚かされるのは、馬堀法眼画伯の手になる歴代天皇の御真影が祀られていることである。
 また境内には義淵僧正の重要文化財の五輪塔も残されている。
 義淵僧正は捨て子であったのを天智天皇にひろわれて飛鳥の岡本宮で草壁王子と共に育ち、聡明であったので出家、竜蓋寺(岡寺)竜門寺など竜の名をつけた五つの寺を開創し法相宗を伝えた人物であり奈良時代の名僧・良弁・行基・玄ム・道鏡などはいずれもその門下にあった。
 なお裏山に四国八十八ヶ所霊場まいりができるようになっている。

■ 菅原道真公出生地説

菅生寺裏の墓地に古い五輪塔があり、菅原道真公の両親の墓と伝承している。菅原道真が宇多天皇の時、遣唐使となり右大臣まで昇進したが、901年藤原時平のざん言により九州に左遷され、903年に亡くなった。菅公はその3年前宇多天皇に供奉して、現光寺(比曽寺)から龍門寺に参っている。その様子は扶桑略記に詳しく出ている。
 山口の上田家文書によれば、文政13年(1830)の伊勢神宮おかげまいりの善根宿の旅人に、菅公うぶゆ生湯の池、ご両親の墓など龍門名所の案内をしたと書かれている。しかし菅公生誕の傅承は定かではない。菅生寺の襖には、菅家文章に出てくる次の詩が残っていたと伝えられる。
    隨分香華意味曾  緑羅松下白眉僧
    人如鳥路穿雲出  地是龍門趁水登
 菅公が大宰府の配所で憤死した後、京都を始め全国に天変地異が頻発、菅公のたたりと恐れ、火雷天神と崇め、京都北野を始め各地でまつられるようになる。当地でも吉野山口神社が天満宮と改称、佐々羅の菅原神社など天神信仰が普及した。菅生寺の寺名や傅承から、菅公とは何か特別な関係があったものと思われる。

■ 年中行事

1月24日 天満宮大祭
2月3日 大護摩厄除星祭
4月21日 春季大会式
9月21日 秋季大会式

■最寄りの交通機関

 近鉄吉野線大和上市よりバス20分
 ※大師四国八十八ヶ所まいり


歴代天皇陛下の御真影


(御本尊) 阿弥陀如来
(開創) 千三百有余年前、義淵僧正開基。
(所在地) 奈良県吉野郡吉野町平尾150
(電話)

07463-2-4009