第四番 雲雀山 得生寺
(西山浄土宗)
阿弥陀如来

 

 その昔、王朝貴族を初めとして、普陀落浄土に縁を求める人々が通った熊野参りの道、それは今の国道42号線と重なる所が多いが、その熊野古道が有田川を渡った地点に、中将姫の寺得生寺がある。中将姫伝説は謡曲雲雀山、当麻寺等で今も語り伝えられている。古来多くのフィクションが語られ文芸作品としても人の心を打ったものも数多くあるが、中将姫伝説ほど長い生命を保ち、多くの芸術を生み、信仰を育んできたものはないであろう。それは浄土を乞い求める人々の心がそうさせたのであろうか。その伝える所は概略次の如くである。
 聖武天皇の御代、右大臣藤原豊成公の姫が十三才の時継母の憎しみによって奈良の都よりはるかなる紀州有田の雲雀山に捨てられ、やがて殺害せよとの命を受けて、伊藤春時がこの地にやって来る。だが継母の心がなおるようにと写経に専念する姫の姿に打たれた彼は得生と名乗って出家し、同じく出家した妻妙生と共に姫の面倒をみるのである。
 得生寺の名はここから出ている。やがて得生は病没し妙生一人で姫を養っていたが豊成公が狩にこの地に来られ、殺されたはずの娘と再会される。そして都に連れて帰られるのであるが、姫は自分の為に犠牲になった人々の菩提を弔うため大和の当麻寺に入られる。そして浄土曼荼羅を織り終えて二十五菩薩に迎えられ、二十九才の若さで往生するというのである。
 その命日の5月14日に毎年行われる二十五菩薩来迎式は姫の往生を偲ぶもので県の無形文化財となっており近郷の参詣者で賑わう。境内からは雲雀山が望見され、姫の伝説にまつわる姫捨松、古跡の松があり県指定の一里塚万葉歌碑も建っている。宝物も沢山あるから、有田みかんの花咲く5月には是非訪れて拝観してみたいものである。

■最寄の交通機関
     紀伊宮原駅下車タクシー5分、糸我バス停下車徒歩3分


(御本尊) 阿弥陀如来
(開創) 伊藤晴時により草創、明秀光雲上人により中興。
(所在地) 和歌山県有田市糸我町中番229
(電話) 0737-88-7110